すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り2023レポ

 2023年9月7日木曜日午後6時半。仕事を終えて錦糸町駅に向かい、住吉方面へ歩くこと5分。首都高7号線の高架下から音頭のリズムと歌声が聴こえてくる。音に向かって歩く人々がいるのに気づく。その人波に加わり、足取りが少し早くなる。会場に着く。ものすごい熱気だ。踊り狂う人々の群れが見える。その群れはどこまでも続いている。竪川親水公園特設会場。平日の夜とは思えない浮世離れした熱気と人の多さに圧倒される。

 4年ぶりの開催となるすみだ錦糸町河内音頭大盆踊りは、30年以上にわたって踊られてきた錦糸町の風物詩だ。大阪由来の河内音頭を独自に発展させた振り付けで、生演奏と生歌で踊るのを特徴とする。2年前にこの近くに引っ越してきたが、参加するのは初めてだ。

 入り口で200円を寄付して、猫たちが盆踊りを踊るイラストが描かれたうちわを貰う。イラストレーターのにゃんとこさんによるものだ。

 階段を降りて会場内へ。左右に並ぶ屋台は、焼き鳥、焼きそば、じゃがバター、チョコバナナなどなど、よりどりみどり。飲食エリアと仕切られて、真ん中に踊る人々の群れがある。入り口から離れた一番奥にステージがあり、出演者たちがかわるがわるに音頭を演奏する。ちょうどわたしが着いた時は中西レモンさんの出番だった。f:id:isatosui:20230910170400j:image

 レモンさんは昨年DOYASA! Recordsから出たアルバム『ひなのいえづと』を聴いてからすっかりファンになっている。ブルガリア民謡などを歌うすずめのティアーズのプロデュースで、日本のさまざまな民謡がサイケロック感のあるアレンジで歌われておりとても面白い。Tokyo FMの「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」への出演で初めて聴き、さらにその後KBS京都の「大友良英のJAMJAMラジオ」でF.M.N. Sound Factoryの石橋さんにも紹介されていたことで、注目すべきミュージシャンだと確信したのであった。

 なお、この日は盆踊り2日目で、1日目にはすずめのティアーズが「ポリフォニー江州音頭」を歌っていたとのこと。見たかったな〜。Bandcampから音源で聴いたがトリップ感のあるものすごいコーラスワークで、こんな音楽は聴いたことがないと思った。以下はにゃんとこさんがあげてくれている演奏動画より。

ポリフォニー江州音頭/すずめのティアーズ すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り2023年9月6日 - YouTube

 盆踊りは現場ありきで一回性の強い音楽なので、こうして各出演者の演奏が記録化されているのはとってもありがたい。

 さて、いくつかお店を回ってお腹を満たしたら、踊りの輪の中へ……と思ったが、これが結構入るのに勇気がいる。食べながら見ていて、踊りが3つのグループに分かれていることに気づいたからだ。中心から輪が3層になっており、一番内側が反時計回りに進む手踊りの輪で、これが一番簡単に見える。その外側に同じく反時計回りに進む「流し」と呼ばれる輪があり、これは時々かなりのスピード感で飛び跳ねながら走るように踊っていて、ハードル高め。そして一番外側は時計回りに進む「錦糸町マンボ」で、こちらも飛び跳ねはするが回るスピード自体はかなりゆっくりだ。f:id:isatosui:20230911100001j:image

 このような3つの踊りで構成されつつ、時折別のオリジナルな踊りを踊っている人もいるものだから、わたしのようなビギナー盆踊らーは流れを掴むので精一杯だった。えいやっと一度飛び込んだが、動きを掴めず呆気なく数分で退散。しかし複数の踊りが入り乱れるポリフォニックな集合体は、外から眺めているだけでも非常に楽しい。踊らない人も楽しめるのがこの盆踊りの魅力と言える。

 踊るのは来年に持ち越し、ではせっかくならステージの近くに行ってみようと前の方へ移動。するとこちらにはステージを見る人々の集合があった。さながらフェス会場の様相である。トリで出てきたのは山中一平と河内オンドリャーズの面々。太鼓や三味線といったいわゆる音頭を演奏する楽器だけでなく、エレキギターやベース、ドラムも加わる編成だ。山中一平さんは河内音頭界の数少ないプロ音頭取りであるという。そのステージを間近で見ようと、前方にも人が集まってくる。盛り上がりは最高潮だ。こうした編成で演奏される音頭のリズムはどこかレゲエっぽく、世界共通のダンスミュージックのリズムのひとつはこれなのではないかなんて、ちょっとした妄想をしてみる。f:id:isatosui:20230911101523j:image

 後日、ファンシーのお店 にゃんとこで注文したTシャツが届いた。THIS BON-DANCE KILLS FASCISTS。盆踊りに来る人は、政治思想的には右の人も左の人もいると思う。わたしは左であることを自覚しているが、右の人がいてはならないとは思わない。むしろ違う考えの人が一緒にいて当然だと思っている。いちばん恐ろしいのは、ひとつの考えだけが世の中を支配することだ。それはとても貧しいことだと思う。それに、そもそも右とか左とかいうカテゴリーは大枠でしかなく、その枠の中であっても、それぞれの人の考えはみな少しずつ違っている。

 盆踊りだってそうだ。同じ動きをしているようで、実は全員少しずつ違う。そしてひとつの踊りに飽きたら、別の踊りに移行してもいい。外側から眺めるのもいい。錦糸町河内音頭大盆踊りのポリフォニックな群れは、それを許してくれるゆるさがある。盆踊りという場は、そのゆるさで人それぞれの違いを肯定しているのだ。f:id:isatosui:20230911112517j:image