ふふふ文化祭で渋さ知らズを見てきた

 西千葉のZOZOの広場+緑町公園+HELLO GARDENで開催された「ふふふ文化祭」に行ってきた。

ふふふ文化祭 | EVENT | HELLO GARDEN

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 主催はふふふ文化祭実行委員会(緑町公園管理運営委員会)。運営の株式会社マイキーは、西千葉を拠点にまちづくりの企画プロデュースを行っている企業とのこと。会場の案内にはマイキーと並んで株式会社ZOZOの名前もあったので、部分的に共同で運営なのかも。写真奥に写るカーブした屋根の建物がZOZOの本社。西千葉にあるのは初めて知った。本社の向かいにZOZOが運営しているカフェがあり、その敷地内にはあるブランコで子どもが遊んでいた。駅前以外はほぼ住宅街なので、かなり異彩を放つ建築物だと思った。

 会場のうち、ZOZOの広場とHELLO GARDENは元々空き地だった土地に上の2社がそれぞれ手を入れて、地域のためのフリースペースになったのだという。憩いのスペースであるほか、こうしたイベントやマルシェなどで活用されているようだ。

 今回のふふふ文化祭には地域の雑貨屋さんや飲食店のほか、けん玉スペース、染め物体験、指輪作り、うつわ作りなどのワークショップが出店されていた。子どもは駆け回ったりワークショップに参加したり、大人はレジャーシートに座って酒を飲んだり立ち話しながら酒を飲んだりしていて、楽しそうだった。実際来ていた人のどれほどが住んでいる人かはもちろんわからないが、地域に密着したイベントであることがうかがえた。

 で、今回このイベントになぜ行ったかというと、ステージに出演するミュージシャンのラインナップに惹かれたからだったのでした。出演したのはU-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS、DJ RINOKA、渋さ知らズの3組。1組目は言わずもがなのタブラ奏者とラッパー2人のセット、DJ RINOKAは小学生DJとのこと。が、都合がつかず渋さ知らズだけを見に行くことに。

 この地域密着感に、場末のフリージャズロック小劇場(?)である渋さ知らズが出てきたらいったいどうなっちまうんだ……と思っていた矢先、サウンドチェックとして演奏がスタート。

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 すげえ爆音だ!!!!!!!!!!!!!!

(本チャンからは音量が下がりました)

 定刻になり、リーダーの不破さんが挨拶とメンバー紹介をして演奏スタート。1曲目はビクトル・ハラ「平和に生きる権利」(El derecho de vivir en paz)の日本語カバー。渋さの定番曲だが、「あなたを愛し生きる権利を」という言葉にいま、強い意味をこめて聴いた。

 そのままメドレーで1時間ぶっとおしの演奏。何曲聴いたかは盛り上がっていたのでわかりません(すみません)。どんどんヒートアップする演奏と、パフォーマーたちの一挙一動に目が釘付けだった。特に「本田工務店のテーマ」ではかなりのお客さんがわーっと手を上げて、かなり熱狂的な雰囲気でした。最高〜!! 

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 途中、ダンサーが客席側におりてお客さんと一緒に踊る場面もあった。演者と観客はステージを境目にしてヒエラルキーができてしまうけど、この瞬間にその垣根が崩れるのを感じた。また、楽器を持たずほぼ座っているだけ(たまにチューバのマイクを直す)の演者もいて、渋さという土壌の広さ、豊かさに驚いた(というか笑った)。この土壌のうえでは、あらゆるパフォーマンスが共存できるのだ。

 さて、このイベントに行く前、イスラエル軍のキャンプでミュージシャンが歌い、コール&レスポンスがおこなわれ、兵士たちが熱狂するという映像を見た。詳しくは高橋健太郎さんのX(Twitter)への投稿を見てほしい(https://x.com/kentarotakahash/status/1720239803093131267?s=46)。

 音楽が人を戦争へと駆り立てるさまは、見るのがつらい。音楽には力がある。その力は人を熱狂させ、方向づける。だからときに、人を戦争へと駆りたてる。音楽が人を殺すし、殺させる。それはこれまでも繰りかえし起こってきたことで、そしていま、たしかに起こっていることだ。音楽から力をなくすことは、たぶんできない。では、どうすればいいのだろう。

 かつて、ロジェ・カイヨワは、戦争と祝祭の類似性を指摘した。戦争も祝祭も、どちらも蕩尽するものだ。音楽の力をどうしてもなくすことができないのであれば、それを戦争に利用するのではなく祝祭において華々しく散らすべきではないか。戦争のためにではなく、「平和に生きる権利」を祝う祭のために踊ること。なおかつ重要なのは、音楽に踊らされるのではなく、音楽で踊ることだ。なんのために、なぜ踊るかを考えたうえで踊ることが、音楽の力に踊らされないために必要だと、わたしは思う。

 駆けまわる子どもたちと、お酒を飲んで話して踊る大人たちと、渋さ知らズの音楽の渦のなかで、そんなことを考えたのだった。楽しかったです。